富岡製糸場と絹産業遺産群 一日視察コースです

自民党の観光議連・歴史遺産議連の視察研修会に参加いたしました。
場所は、世界遺産候補である富岡製紙場と絹産業遺産群です。
現在、富岡製糸場、荒船風穴、高山社跡、田島弥平旧宅の4つの資産で世界遺産登録を目指しています。

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タイトなスケジュールでしたが、1日ですべて回ることができました。

①9;35 富岡製糸場(富岡市富岡1-1、0274-60-6004)

DSC_0269富岡製糸場は、明治5(1872)年明治政府が近代化政策のもと、主要輸出品である生糸の品質向上と増産を目指して設立した製糸工場です。
歴史の教科書でもお馴染みですね。
富岡製糸場は、日本が成し遂げた高品質生糸の大量生産を支えた技術革新の中心となった施設として高く評価されており、「富岡製糸場と絹産業遺産群」の中心となる資産として、世界遺産登録を目指しています。

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② 11:30 荒船風穴(甘楽郡下仁田町南野牧9326-1、0274-60-6004)

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荒船風穴(あらふねふうけつ)は、この付近から吹き出す夏でも2℃前後の冷風を利用した日本最大規模の蚕種(蚕の卵)の貯蔵所跡です。
蚕種が産み付けられた紙を種紙(蚕種紙)と呼びます。
この種紙を、低温で貯蔵することにより、ふ化の時期を遅らせる事が可能になりました。
これによりそれまで年一回しかできなかった養蚕が夏や秋にも可能となりました。
荒船風穴は、電気冷蔵技術が普及した昭和10年ごろには、その役目を終えましたが、日本が成し遂げた良質な生糸の大量生産に貢献した施設として重要であり、「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産の一つとして、世界遺産登録を目指しています。

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12:35 昼食は、常盤館さん(甘楽郡下仁田町下仁田359-2、0274-82-2216)でいただきました。

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③ 14:00 高山社跡(藤岡市高山字竹之本236番地1外)

高山社跡は、高山長五郎が近代養蚕方法「清温育(せいおんいく)」を開発し、その普及のための教育機関を設立した場所です。
長五郎は文政13(1830)年にこの地に生まれ、養蚕の改良に取り組み、明治16年ごろ、当時主流だった換気を重視した「清涼育(せいりょういく)」と蚕室を暖めて飼育する「温暖育」双方の長所を取り入れ、蚕室の温度調節や換気を行う養蚕方法として、「清温育」を完成させました。そして、この「清温育」を完成させました。
そして、この「清温育」の普及のため、明治17(1884)養蚕教育機関「養蚕改良高山社」を設立し、初代社長に就任しました。
高山社跡は、我が国が成し遂げた良質な生糸の大量生産に貢献した養蚕技術の革新と交流を示す資産として重要であることから、「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産として、世界遺産登録を目指しています。

④ 15:30 田島弥平旧宅(伊勢崎市境島村甲2243)

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田島弥平旧宅は、田島弥平による、近代養蚕法「清涼育」の開発と、ヤグラ(越屋根、天窓ともいう)付き総二階建ての近代養蚕農家建築の原点となった建物です。
伊勢崎市境島村地区は、江戸時代中期から蚕種製造の盛んな地域で、田島弥平家も有力な蚕種製造農家でした。
蚕の飼育は、難しく年によって収量の差が大きかったため、弥平は各地の養蚕方法を研究し、蚕の飼育には自然の通風が重要であると考え「清涼育」を大成し、安定した繭の生産に成功しました。
また、「清涼育」に適した蚕室の工夫を行い、文久3(1863)年には棟上に換気設備(ヤグラ)を備えた瓦屋根総二階建ての住居兼蚕室を建築しました。
桁行き約24.3m梁間約9.1mの大規模な建物で、1階を住居、2階を蚕室としました。
弥平は「清涼育」の普及のため明治5(1872)年に『養蚕新論』をい著し、ヤグラを付けた養蚕農家建築は、その後の近代養蚕農家建築の標準となりました。
田島弥平旧宅もまた、良質な生糸の大量生産に貢献した養蚕技術の革新と交流を示す資産として重要であることから、「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産として、世界遺産登録を目指しています。

富岡製糸場、荒船風穴、高山社跡、田島弥平旧宅と4カ所あるわけでございますが、1日で回ることができます。
群馬が誇る重要な歴史遺産です。
皆さん、是非お出かけください。

(金井康夫事務所より)

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