上毛学舎訪問

建て替え予定の「上毛学舎」を訪問しました。

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明治43年、上毛育英会と将校会が合併し、東京都牛込区富久町19番地(現在の新宿区)にあった建物を本県出身の東京遊学生のための「宿舎」として提供を開始したことから上毛学舎の歴史が始まりました。
昭和3年7月、財団法人群馬県育英会東京宿舎として現在地の世田谷区経堂に移転しました。(昭和10年には「財団法人群馬県育英会上毛学舎」と改称)
昭和46年6月から、現在の新館(鉄筋コンクリート造4階建1,542.24平方メートル)、管理人宅舎、従業員宿舎、食堂増築等の工事に取りかかり、昭和47年12月に完工しました。
この間、上毛学舎は社会に有為な人材を育成することを目的として運営され、これまでに3,000人を優に超える若人が学舎での生活を送った後、社会の様々な分野で活躍をしています。(以上、群馬県HPより)

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老朽化により存続が危ぶまれていた、この上毛学舎の建て替えについて、群馬県教委管理課と財団法人県育英会は6月13日、「阪急不動産」(本社・大阪市)などと事業契約を結びました。
阪急不動産に新しい寮を建設してもらい、費用の代わりに敷地の一部を譲渡します。
「PPP(※)」と呼ばれる手法で、県関連の施設の建設で活用されるのは初となります。

※Public–private partnershipの略。官民パートナーシップ。

群馬県としては、コストの負担は一切ないわけですから、賢い方法ですね。
上毛学舎が存続できて、一安心です。

(金井康夫事務所より)

One Response

  • 昭和54年4月に入寮し四年間を上毛学舎で暮らしました。上下関係の厳しさや相互の挨拶励行など色々ありましたが、お互い違う学校で理系や文系など様々な学生と集団生活する中で社会性が培われたと思っています。今の自分があるのは学舎があったからこそです。
    寮を運営する群馬県教委や県民の皆様に只々感謝しかありません。金井先生、懐かしく貴重な写真ありがとうございます。

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